岡田以蔵
おかだ いぞう(1838〜1865)
以蔵(又の名を宣振という)は、城北江ノ口に生まれ、武市 半平太道場で一刀流剣術の修行に励む。その後、江戸に出、桃井春蔵に入門して鏡心明智流の剣法を学んだ。
以蔵は半平太について西国修行に同行した後、土佐勤王党に 加盟した。しかし、以蔵は剣については非凡なものを持っていたが、学問的には無知であったため、重要な活動には参加できなかった。
幕末の激動の中で、以蔵はその非凡な剣技に生きるしかなか った。武市に命ぜられるままに佐幕派の要人を襲い、次々に斬った。犬の様に扱われているのを疑わずに斬り、「人斬り以蔵」と呼ばれ、恐れられていく。
土佐勤王党の獄により捕らえられ、拷問の苦悩には耐えきれ ず、少しずつ自供していく。しかし、武市は、自分や同士の身に降りかかることを恐れ、以蔵を毒殺する計画が図られた。その後未遂となり、以蔵は、自分がいいように扱われていたこ とに気づくが、時既に遅かった。
慶応元年(1865年)5月11日、以蔵は斬首の上、その 首は雁切川原にさらし首にされた。28歳であった。
『君が為め尽くす心は水の泡消えにし後は澄みわたる空』
これは、刑を受ける直前の辞世の歌である。以蔵はどのような 心境だったのだろうか。