神無月
土佐はし拳全日本選手権
土佐名物「はし拳」とは、酒宴がたけなわになると始まるゲームなのですが、「はし拳」の由来は、幕末の頃、宿毛の船頭たちの間で、食事の箸を使って数当てのバクチを行っていたのが始まりで、のちに金銭の代わりに負けた方に酒を飲ますルールになったといわれています。
その「はし拳」の県下最大の大会が「日本酒の日」の10月1日に県民体育館で行われます。
このはし拳大会では個人選と団体選があり、いずれもトーナメント選で上位4名(チーム)を選定し、順位を決定します。
選手たちは、差し向かいに座り、まん中に酒と杯と箸6本を用意します。ジャンケンで先手・後手を決め、それぞれが3本ずつ後ろ手に隠し持ちます。
先手は「3本!」と言って0〜3本を見えないように差し出します。後手は相手との合計本数を推測して「1本」もしくは「5本」と答えます。
この時、自分が2本以上持っているなら「1本」ということはないので必然的に「5本」と答えることになります。
一斉に隠していた箸を見せ合い、2人の箸の合計が3本なら先手の勝ち、1本か5本なら後手の勝ち。これを3回戦でやり、負けた方が酒を飲みます。
この打ち込みやルールを間違えると、罰として一盃飲まなければいけません。交互に打ち込み合って3本勝負で勝敗を決め、負けた方が酒を飲みますが、酒好きにとっては負けるのもまた楽しいゲームなのかもしれません。
流鏑馬(やぶさめ)
樹齢一千年を超す大杉で知られる安芸郡東洋町名留川の春日神社では毎年10月の第2日曜日、秋祭りがあり、走る馬から弓矢を放つ勇壮な流鏑馬(やぶさめ)が奉納されます。
往時は地元の農耕馬同士を競わせ、最も速く走れた馬だけが流鏑馬を奉納でき、褒美として田畑の小作権が与えられたといわれます。
四十年ほど前に一般の農耕馬は姿を消し、一時は境内の馬小屋で飼育していました。近年は、祭りの時だけ馬を借り上げて、伝統行事を守っています。
騎手を務めるのは同町の青年や、県馬術連盟の方や、馬術部の高校生など。
紅白の手綱で飾られた馬に武者姿でまたがって約五十メートルの参道で流鏑馬奉納。森の中を風を切って馬を駆り矢を放つ姿は勇壮かつ華麗で、県内外からも多くの観衆が詰め掛けます。
不破八幡宮大祭
10月の第2日曜日に中村市で行われるお祭り。
不破八幡宮は一条公が京都の石清水八幡宮を勧請して幡多の総鎮守とした古社で、本殿は国の重要文化財です。
大祭は一条公が幡多の文化を高めるために始めたといわれ、あげ馬(馬に乗って崖を駆けのぼり、成功した数が多ければその年は豊作になるというような神事)など多彩な神事が繰り広げられます。
なかでも「神様の結婚式」は、当時の掠奪結婚の蛮風を戒めるために始めたものと伝えられ、全国でも珍しい神事として注目を集めています。
男神みこしは夏、結婚式に備えて四万十川で清められます。また不破八幡宮から見て、四万十川対岸に位置する一宮神社には「椎名(しいな)御前」「徳益(とくます)御前」「鉾名(ほこな)御前」の3体の女神がおり、結婚前日の「宵宮」に、くじ引きで花嫁を決めるのが習わしです。
大祭当日、女神みこしは川舟に乗って八幡宮前の祭場に到着。「御旅」で市街地を練り歩いている男神みこしの到着を待ちます。
両みこしがそろったところで、いよいよ「輿(こし)合わせ」の儀式。男衆に担がれた男神みこしが女神みこしの周囲を回る「角回し」が行われた後、みこしの担ぎ棒先端を3度、激しくぶつけ合い、めでたく婚姻が成立します。
鵜来島秋祭り
宿毛市鵜来島の春日神社の秋祭りは、南予の風習を色濃く受け継いでいるお祭りで毎年第二土曜日に行われています。 山の中腹にある同神社から、やぐら、牛鬼、みこしを細い山道を通って海岸近くまで運び出し、この3つが競うように駆け回る豪快な「お練り」が呼び物です。
3つを同時に回し合うためには、最低80人、交代要員も含めると100人は必要だそうですが、鵜来島の人口は30人余りで、ほとんどがお年寄り。毎年、帰省者や幡多地域の中学校教員らが集まったり、公募などにより、やぐらなどを担ぐ「かき手」を務めているようです。
この祭りは珍しく夜の祭りで、暗くなると男達が段々元気になってくるのだとか。
興津八幡宮大祭
1千百年以上前から続く勇壮な秋祭り。御輿担ぎは、お宮から町へくり出し、浜へたどり着きます。宮船(浦分)と御輿(郷分)との衝突が見所です。
宮舟神事は約500年の歴史を持つ中村一条氏ゆかりの神事。逃げるみこしを宮舟が追い、みこしの「鳳凰」を宮舟の「さがり(昇り竜の刺しゅう)」で落とすと豊漁間違いなしという言い伝えがある。
担ぎ手不足により、例年11月15日に行われていた祭りも再三中止を余儀なくされていて、2002年は地区外からも担ぎ手を募集、日にちも10月13日(日)に試験的に行われました。