父養寺・西佐古の
紫陽花

野市上井の紫陽花

高知県香南市野市町父養寺(ぶようじ)と西佐古を流れる農業用水に沿って沢山の紫陽花が植えられていて、それは見事です。紫陽花街道と一般には言われますが紫陽花小路といった趣です。

野市上井沿いに続く紫陽花

すぐ近くには物部川が流れており、少し上流に野中兼山が作った山田堰跡がありますが、ここ紫陽花が沿って植えられている水路は野市上井(うわゆ)と呼ばれ町田堰から取水されているそうです。

この野市上井に沿って、地元の方が大切に育てた紫陽花がずーっと咲いています。全長1キロメートル位はありそうです。畑や田んぼへの斜面にも紫陽花が植えられている事や、小路の両脇に植えられている事から、にとにかく紫陽花のボリュームがあります。沿道に植えられた紫陽花には様々な種類があり、目を楽しませてくれます。車が走る道路からは離れているので、ゆっくりと散歩をしながら眺めるのに、良いです。

しかし、野中兼山は開墾した農業用水路沿いにこんなに美しい紫陽花が植えられるとは思いもしなかったでしょう。兼山が作った農業用水で潤された田畑がすぐ近くに広がっており、この季節は、苗の緑がとても美しく、気持ちのよい空間を作っています。

紫陽花 紫陽花 紫陽花

父養寺はいにしえの名残の地名

父養寺(ぶようじ)という地名は、平安時代の前期である866年に起こった応天門の変に異母弟紀豊城(とよき)が関わっていた為、連座の罪で土佐に流された紀夏井(きのなつい)に由来するそうで、邸跡もすぐ近くにあります。

紀夏井は、非常に温和で思いやりがあり、清貧で無欲であったと伝えられています。国守として赴任していた讃岐での善政が多くの民の心に残っており、20年後に赴任した菅原道真が何かと紀夏井と比較され、国政運営で難渋したという逸話が残っているそうです。

土佐の地に流された紀夏井の住まいしたのがこの近くで、父養寺という地名は、紀夏井が亡くなった父親を供養するのに作ったお寺がこの地にあった事に由来するのだそうです。紀夏井はとても親孝行で、母親を供養するのにたてたと言われる母代寺という地名も近くに残っています。

今は何も残っていませんが、平安時代の紀夏井の頃に思いをはせながら、雨が降っていなければ邸跡まで足を伸ばしてみるのも良いですね。

紫陽花 紫陽花 紫陽花
photo by Takemura.K

メモ

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