夜須大宮八幡宮 百手祭

香南市夜須町 夜須大宮八幡宮の百手祭

夜須大宮八幡宮で百手祭が行われると聞き行ってきました。香南市の無形民俗文化財に指定されており、1月中の卯の日と翌日の辰の日に行われています。

北川村の「お弓祭り」、大豊町桃原熊野十二所神社の「百手祭」と並んで、土佐三大弓祭りとも言われています。(大豊町桃原熊野十二所神社の新年の「百手祭」は平成27年現在中止されています。)

百手祭の始まり

夜須大宮八幡宮は長宗我部元親」が京都から勧請したとも言われています。

ある年、牛鬼が夜な夜な出没して作物を食い荒らし村人が困窮していたところ、近森某という者が夜須大宮八幡宮に願をかけ、牛鬼を弓で射殺することができたという。この百手祭はこの牛鬼退治に始まると言われています。箭台(やだい)さんによれば、850年位前からやっているというお話でした。

夜須大宮八幡宮鳥居 夜須大宮八幡宮拝殿 弓塚

箭台の「矢振り」による射順決めや射番1番、6番、12番による「弓塚祭(三々九度)」等が他の弓祭りにはない事柄ということでしたが、私は間に合いませんでした。弓塚は芝の上に設えられ、茹でた田芋とお神酒が供えられていました。箭台さんに聞くと「田芋は牛鬼が好きときいている」ということでした。

箭台(やだい) 6人づつ、1たち(2本)を射る射手 矢取りさんの集めた矢

役者と的

私が伺った時は、神官1名、箭台1名、射手12名が社殿前の射場におり、烏帽子姿の射手が6名並び、約30メートル先の的に向かって、1たち(2本)づつ矢を射っていました。

また、放たれた矢を拾い、射場に持っていく矢取り、矢が的中したら大太鼓を鳴らす方も1名いらっしゃいました。

橙の的 烏帽子姿の射手 鬼の的

まず、大的を射るそうですが、私が行った時は大的は終わり、橙を的に矢を射っていました。(大的は5たち半射るそうです)そして、橙を射た後、鬼と書いた半紙に的が変わりました。

なお、先に見学されていた人の話では、小的を作る時に中心に鬼と書いて、それを黒く塗りつぶしていたそうです。また「土佐の祭り」(高木啓夫著)にも大的を作る際に、中心に鬼と書いた後、墨で黒く塗りつぶすとありました。

鬼と書いた半紙を射抜くと、射手が着替えを始めました。箭台さんに、神事の時は烏帽子姿だが、神事としての弓ひきが終わると紋付袴になるのだと教えて頂きました。

ふと気が付くと、弓塚が田芋だけになっていました。

射手 子どもと射手 的に弓が当たると太鼓を叩く

途中、射手が外に出てきて、見学に来た保育園児や小学生達に「弓を触ってみたい人」と声をかけて、一人ひとりに弓のひき方を教えていました。子ども達は「かたい〜!」と言いながら、弓に触っていました。

弓塚 駒の的を据え付ける 紋付袴の射手

着替え後、6人並んでではなく、2人づつ射手が駒の的に向かって矢を放ち始めました。駒に3たち半を放って初日を終えるということでしたが、私は時間切れで最後まで拝見できませんでした。なお、「半」はまだ続きがあるという意味で、弓を途中までひいて止める行為だそうです。

動画

二日目

二日目。射手は紋付き袴姿です。二日目の10時頃に行った時、小的を射っていました。

紋付袴の射手(6人が並んで行う) 小的 紋付袴の射手

小的を射た後、鬼と書いた扇を射、鬼と書いた板を射て、二日目の射的は終了しました。

鬼と書かれた扇の的 鬼と書かれた板の的 鬼と書かれた板を射抜く

その後、全員が拝殿に入り神事を行いました。この後、直会を行うそうです。直会にお誘い頂きましたが、時間の都合で遠慮させて頂きました。また、ゆっくりとお話を伺いたいと思っています。

神事 的の枠 本殿

取材日:2015年1月15日、2015年1月16日、(掲載日:2015年2月18日)

↑ページトップへ

BACK
Copyright © 1996-生活創造工房 All rights reserved.