堂の口開け祭り

薬師堂前の大わらじ

「堂の口明け」とは、一年で最初の神仏のまつり始めをする日という意味で、津野町宮谷地区の人々が大きなわらじ(昔から地元の人は「金剛バッコ」と言う)を作り、地区の入り口に吊るす伝統行事です。

明王寺薬師堂の開帳日(以前は、旧暦の1月28日でしたが、現在は2月の最終日曜日)に行われます。当日は、住民総出で稲わらを家々から持ち寄り、しめ縄と一緒に大わらじ(金剛バッコ)を作り、地区の入口に吊るし、地区民の無病息災を祈願します。

薬師堂前の広場 宮谷地区 大わらじ(金剛バッコ)作り

行事の流れ

午前8時頃までに、明王寺薬師堂前に各家から稲わらを持って集まります。そして、班に分かれて、地区の入り口に吊るすわらじ(金剛バッコ)やしめ縄、藁スボ作りに取り掛かります。

いよいよ、9時から「口開け」が始まります。神酒や供え物、しめ縄などを持って、地区内の愛宕神社、山の神、秋葉さま、荒神さまの順にまつっていきます。

お堂でしめ縄作り 薬師堂にお参りする地区の人たち 大わらじ(金剛バッコ)作り
大わらじ(金剛バッコ)作り お堂で大しめ縄作り できあがった「藁すぼ」

その後、10時から伝統文化保存館で「念仏まつり」が行われます。これは、津野山を開拓した津野公や、先祖の霊などを供養するために住職がお経を読み上げ、村人たちが念仏を唱える仏事です。

大わらじ(金剛バッコ)やしめ縄などが完成した後、11時から本堂で薬師まつりが行われ、大わらじ(金剛バッコ)やしめ縄などの邪気を祓い、神気を宿らせ、地区や家庭の安全を守ります。

そして、幸せを願い、隣のお堂で「百万遍」の念仏を行います。

伝統文化保存館内で作られていた田楽 最後の仕上げをする大わらじ(金剛バッコ) できあがった大わらじ(金剛バッコ)を薬師堂に運ぶ
念仏を唱える僧侶 お堂で樒の葉をちぎる住民 百万遍

昼前に、住民が大わらじ(金剛バッコ)やしめ縄を担いで、国道添いの地区堺に向かって出発します。そして、集落の入り口に大わらじ(金剛バッコ)を吊り、しめ縄を張って、道切り(みちきり)とします。道切りとは、結界のようなものだそうです。最後に、大わらじ(金剛バッコ)の下に藁すぼを吊るします。

この藁すぼの中から、ご飯、煮しめ、漬物等を取り出して、皆で分け合って頂くと、無病息災で過ごせるといわれています。

薬師堂前の大わらじ(金剛バッコ) 大しめ縄を担いで出発 大わらじ(金剛バッコ)を担いで出発
地区堺に向かって歩く地区民 大わらじ(金剛バッコ)を吊るす 大しめ縄をかける

午後1時頃からは行事の慰労会が開かれ、お札が配られるそうです。お札は、家の入り口に貼り、家内安全、無病息災を祈ります。

なお、この飾られた大わらじ(金剛バッコ)は、堂の口明けの始まる1週間位前に外されるそうですが、それまではずっと、宮谷地区民の安全と無病息災を願って吊るされています。

地区境に吊るされた大わらじ(金剛バッコ) 藁すぼから頂いたご飯を食べる子ども 藁すぼからご飯を出す

大男がいるぞ!

この行事の始まりは、いつの頃からかは定かではないそうです。言い伝えでは、かつて集落に疫病が流行った時に、この大わらじ(金剛バッコ)を村の入り口に吊り下げたのが始まりだそうです。ちなみに、バッコは履物と書くそうです。

バッコ(履物)は、魔物や災いが入ってこないようにする力があるとされているそうで、高知県内で行われる虫送りでも半分程度編んだ大きなわらじが集落境に吊るされる所があり、似ています。

しめ縄にも同様の意味が込められています。

この大わらじ(金剛バッコ)は、つま先から土踏まずの辺り位まで、およそ半分まで作ったところで、完成です。半分でも、とても大きなもので、履く者の大きさを想像させて驚かそうという気持ちが昔の人にあったのしょうか…。「ここには、こんなに大きな者がいるぞ!!悪さをしに入ったものは踏み潰すぞ!!」と、入ってくる者に警告しています。

取材日:2007年2月25日
(掲載日:2016年2月3日)

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