庵谷 星神社の百手祭

大豊町庵谷の星神社で、旧暦1月20日に百手祭が行われると聞き行ってきました。小雪の舞う寒い中、細い道を山中に入ってしばらくいくと、木立の中に星神社がありました。
百手祭の始まり
正確には分からないということでしたが、およそ500年前から行われており、江戸時代後期に書かれた文書にはここの百手の記載があるそうです。
大豊町の桃原、永渕、川戸等にも百手祭が伝えられていますが、高齢化や過疎化のために、新春(旧暦1月)に百手祭が行われるのは、ここ庵谷だけになってしまったそうです。



百手
道に迷ったために、朝の神事には間に合いませんでした。百手祭で引く弓は1008本が本来ということでしたが、時間の関係もあるので、今は1008本は引いてないというお話でした。お聞きした話を私なりに整理して箇条書きにすると…。
- 射手は前組と後組に6名づつ。
- どの人がどちらの組に属するかの決まりは特に無い。
- 前組から弓引きは始めるが、的に向かって左右どちらに前組が陣取るかの決まりはない。
- 組の射手6名の構成は、弓太郎(ゆたろう)が1名、小弓太郎(こゆたろう)が1名、その他の射手が4名。
- 弓太郎が組の大将で、最初に弓を射る。射手4名が射った後、最後に小弓太郎が射る。
- 各自1射づつ、ドンと太鼓が打ち鳴らされた後に構えて、射る。2巡したら、組の交代。
- 最初に神事として目録を立てないで、的を前組後組と2回射る(24射)。
- その後、的の周りに目録を立てて射る。
- 的の四角には「鬼」と書いてある。



目録に矢が当たると、ドンドンと太鼓が打ち鳴らされていました。目録は身近な日用品名やお菓子名が書かれていて、射った人が持ち帰れる様です。一つの目録(神社)ごとに24本の矢が放たれていたようです。
11時半頃に午前の弓引きが終わり、昼食になりました。

目録の後は小的に
昼食後の神事を行った後、弓引きが再開されました。



ひと通り目録への弓引きが終わると、それまであった目録や大きな的をかけてあった枠が取り除かれました。そして、山の斜面に小さな的が取り付けられました。(目録への弓引きは504本であったと思います。)



小的の中心には「鬼」と書いてあります。この小的を前組後組と2回(24射)していました。射ることが出来たら、その射手が持ち帰り、家の軒にお守りとして吊るしておくそうです。誰も射ることができなければ、翌年にこの的は持ち越され、来年、同じ小的を射るのだそうです。すごく惜しい矢もあったのですが、今年は持ち越しになってしまいました。

そして、小的の後に、さらに小さい小的が据えられました。的の中心は黒く塗りつぶされていました。もしかしたら、他の百手祭の様に「鬼」の文字を塗りつぶしてあるのかもしれません。これも前組後組と2回(24射)していました。先の小的と同様に、射ることが出来たら持ち帰り、できなければ翌年に持ち越されるということでした。こちらの小さい小的も来年に持ち越しとなってしまいました。



この後、皆さんで拝殿に入り、神事、そして直会をするのだそうです。私は、時間の都合で弓引きが終わった段階で帰ってきました。次回はもう少し時間に余裕を持って出かけたいと思います。
取材日:2015年3月10日、(掲載日:2015年3月16日)